La Métate, symbole de La Maison du Chocolat

メゾンの歴史

1977

1929年9月17日、ラ・メゾン・デュ・ショコラの創始者、ロベール・ランクスがバイヨンヌで生まれる。

将来ロベール・ランクスがショコラティエになることを予見させるものはまだ何もなかった。バイヨンヌでパティシエになる道を選んだのは18歳のときである。父はロベールにこう諭す。「職人になろうと決めたなら、びりっけつには活躍の場はないということを決して忘れるな」。1950年代、ロベール・ランクスはスイスのCOBA(バーゼル国際チョコレート学校)で職業訓練を受けながらチョコレート作りの技を磨く。その後、パリのレストランで2年間見習い修行をする。

 1954年4月26日、ジゼルと結婚。

28歳の時、ロベール・ランクスはパリのワグラム通り121番地にあったパティスリー=コンフィズリー「ラ・マルキーズ・ド・プレール」を買い取り、パリに初めての自分の店を開く。彼はこの店をデリカショップとしてスタートさせ、以後二十数年間、店の経営を続けた後、ガストン・ルノートルに売却する。

20年が経過し、ロベール・ランクスは「チョコレート本来の気品を余すところなく伝える」という自分の夢の実現へ向けて一歩を踏み出す。48歳の時、「ラ・メゾン・デュ・ショコラ」を創立、1977年10月26日、フォブール・サントノレ225番地のカーブ・コゼットがあった場所で、サル・プレイエルの向かいに、チョコレートのみを扱う専門店をオープンする。

 

1977 - Création de La Maison du Chocolat
1978

哲学者のジャン=ポール・アロンから「ガナッシュの魔術師」という異名を贈られたロベール・ランクスは、モダンなチョコレートを考案し、繊細な風味付けをしたガナッシュを創り出す。ロベール・ランクスが常に探究し続けた絶妙なバランスは、ラ・メゾン・デュ・ショコラというブランドの味のあかしとなる。ロベール・ランクスは早くも1978年からさまざまなフルーツ風味のガナッシュを作り始め(チョコレートと生クリームを混ぜ合せるテクニックはロベール・ランクスのお気に入りで、チョコレートと繊細で自然な香りとが数々の絶妙な組合せを生んだ)、その中からフランボワーズの果肉で風味付けした名作ガナッシュ「サルバドール」、フレッシュなレモンピールを使ったガナッシュ「アンダルシア」が生まれた。

「私は生まれながらの完璧主義者ですが、それは才能ではなくチャンスなのです」ロベール・ランクス

ラ・メゾン・デュ・ショコラの創始者 ― ロベール・ランクス
1981

1981年、クロード・ルベイ、ニコラ・ドゥ・ラボディ、ジャン=ポール・アロン、他2人のチョコレート通が旗振り役となってクラブ・デ・クロクール・ドゥ・ショコラ(Club des Croqueurs de Chocolat)が作られた。5人は食後のデザートに全員揃ってロベール・ランクスの「プレイエル」(アーモンドの風味豊かなガトーショコラ)を選んだことからクラブ設立を思い付いた。

ラ・メゾン・デュ・ショコラの創始者 ― ロベール・ランクス
1986

1986年、フランソワプルミエ通りにラ・メゾン・デュ・ショコラの二号店がオープン、続いて1988年にはマドレーヌ通りに三号店がオープンする。

Boutique La Maison du Chocolat 52 rue François 1er, 75008
1990

ラ・メゾン・デュ・ショコラは大西洋の対岸に進出、10月1日、ニューヨークのマディソン街と5番街の間の73番通りに海外一号店をオープンする。

以後、新しい国への進出は常に新たな出会いをもたらす一方、洗練されたフランスのチョコレートと熟練技が文化的に理解されるかどうかが試されることになる。

同じ年、ロベール・ランクスは最初の著書を出版。また、エクレール ショコラを初めて世に送り出す。その評判はその後衰えることがない。

1994

パリで第1回サロン・デュ・ショコラ開催。ロベール・ランクスは当初から「メンター」ショコラティエとして、サロン創設者のシルヴィー・ドゥースとフランソワ・ジャンテを支え、クチュリエのジャン=ルイ・シェレルと協力して初のチョコレート製ドレスを製作する。

Salon du Chocolat - Robe designée par le couturier J-L Scherrer et chocolatée par La Maison du Chocolat
1997

ラ・メゾン・デュ・ショコラが創立20周年を記念し、「イニシアッション」を創作。

1998

1998年11月1日、ラ・メゾン・デュ・ショコラが表参道に東京第一号店をオープン。

La Maison du Chocolat Japon
2000

ラ・メゾン・デュ・ショコラがコルベール委員会のメンバーとなり、熟練技の継承者・伝承者でありつつそのクリエーションによって絶えず革新を続けるフランス流「アール・ド・ヴィーヴル(生活美学)」を象徴する由緒ある老舗ブランドの仲間入りを果たす。同年、ロベール・ランクスは2冊目の著書を出版、その中で定番レシピを披露する。ロベール・ランクスが奨めているのは、グラン・クリュのチョコレートと斬新な風味を組み合せることである。

「ショコラティエは職人芸です。チョコレートはすべて手作りですが、実際のところは心で作られているのです」ロベール・ランクス

1996年にメゾンに加わったニコラ・クロワゾーに豊かな芸術的才能を見い出したロベール・ランクスは、彼を新しいアトリエのデコレーション部門の責任者に任命する。

Robert Linxe et Nicolas Cloiseau - La Maison du Chocolat
2003

10月10日、ラ・メゾン・デュ・ショコラがロンドンのピカデリー通りにブティックをオープン。百貨店のハロッズとセルフリッジズもこれに続き、数年後にラ・メゾン・デュ・ショコラのブティックをオープンする。

La Maison du Chocolat Londres
2006

有名な「ガナッシュ入りマカロン」のコレクションを発表。5つの風味はいずれもガナッシュをベースにしており、プレーン、フランボワーズ、バニラ、コーヒー、キャラメルの各風味のチョコレートガナッシュで構成されている。

ラ・メゾン・デュ・ショコラのブティックが新しいコンセプトに基づいて装いを新たにする。

Macarons à la Ganache - La Maison du Chocolat
2007

サル・プレイエルで開かれた豪華なソワレでラ・メゾン・デュ・ショコラ創立30周年を祝ったロベール・ランクスは、それまでの彼の業績に対してレジオン・ドヌール勲章を贈られる。

同年、ニコラ・クロワゾーが非常に貴重な称号であるM.O.F.(フランス国家最優秀職人章)ショコラティエ部門を受賞する。

Robert Linxe et Nicolas Cloiseau - La Maison du Chocolat
2008

2008年6月25日、中国・東南アジア地域初のブティックをオープン。フランスの高級チョコレートブランドとして初めて香港のショッピングモール「パシフィック・プレイス」に出店する。毎年少なくとも一店舗の新規オープンという積極的な進出方針により、ブランドの浸透を後押しする。

La Maison du Chocolat Hong Kong
2009

ラ・メゾン・デュ・ショコラが初めて空港へも進出。ロワシー=シャルル・ド・ゴール空港のターミナル2Eに空港第一号店をオープンし、高級ブランドの新時代の幕開けとなる。このトラベルリテールへの進出により、フランスの高級チョコレートブランドは広く海外で認知されることになる。

La Maison du Chocolat à l'aéroport Roissy Charles de Gaulle
2011

2011年のサロン・デュ・ショコラと業界がロベール・ランクスのこれまでの功績にオマージュを捧げる。サロン・デュ・ショコラではランクスの同僚や同業者のほか、これまでにランクス本人やランクスのチョコレートに対する理想、さらにランクスの作品と何らかの関わりを持ったすべての人たちが発言しており、ランクスの影響の大きさをうかがい知ることができる。ジャン=ポール・エヴァン、クリスティアン・コンスタン、ピエール・エルメ、パトリック・ロジェ、ピエール・マルコリーニ、アラン・パッサール、ミシェル・トロワグロ、ジュリー・アンドリュー、イレーヌ・フラン、ジャンヌ・モロー、メゾン・ベルナション、その他たくさんの人々が、ランクスに暖かい言葉を贈り、ちょっとしたエピソードを披露し、ランクスの才能とプロフェッショナルとしての確かな手腕を褒め讃える言葉を口にしている。

 

Hommage de la profession à Robert Linxe au Salon du Chocolat
2012

2012年、ジョフロワ・ダングルジャンがニコラ・クロワゾーをラ・メゾン・デュ・ショコラのシェフに任命する。ニコラ・クロワゾーはブランドの味を一手に任され、創作への情熱と熟練の職人技を発揮して築き上げられたロベール・ランクスの偉業を受け継ぐことになる。「私はチョコレートのバランスを巧みに操る術をロベール・ランクスから受け継ぎ、完璧に心得ています。私が作っているのは、今ならたぶんロベール・ランクスはこんなふうに作るだろうと思われるようなチョコレートです。

私はロベール・ランクスが創り上げたもの、味わいやブレンドに対する彼の哲学、彼一流のバランスを引き継いでいくことが自分の責任だと思っています」ニコラ・クロワゾー

創立35周年にあたり、ラ・メゾン・デュ・ショコラはアトリエ・アパックスにすべておまかせで、何か記念になるようなことをしてほしいと依頼する。アトリエ・アパックスでは、用が済んだからといって捨ててしまうのは勿体ないくらい素敵なメゾンのコフレやショッパー、リボンに第二の人生を用意した。 

アトリエ・アパックスは、現代的でエレガントなリサイクルを通じて、メゾンのパッケージに新しい命を吹き込んだのだ。

シェフ・パティシエ・ショコラティエ ― ニコラ・クロワゾー 
2013

百貨店のプランタンがパリで3か月にわたり、ラ・メゾン・デュ・ショコラの商品をテイスティングできるスペースを提供、これを受けてラ・メゾン・デュ・ショコラは夏の間、オスマン通りのプランタンの中心にあるアトリウムにポップアップストアを出店。ラグジュアリー感を演出しつつブランドの装いに大胆に手を加えることをプランタンに認めたことで、同スペースは注目を集めることになる。    

サロン・デュ・ショコラが、ラ・メゾン・デュ・ショコラを代表するニコラ・クロワゾーに対し、その仕事を讃える「賞」を贈る。      

11月17日、高級ブランドが最もたくさん集まるモールとされるドバイ・モールに、ラ・メゾン・デュ・ショコラが最大のテイスティング・スペースを持つアラブ首長国連邦第一号店をオープン。中東におけるドバイは、集客力の点でヨーロッパにおけるパリにも匹敵し、すばらしいショッピングを楽しむことができる。これを皮切りに中東への販売拠点の展開が続き、2014年6月にはクウェート市にもブティックがオープンする。

Boutique La Maison du Chocolat à Dubaï et au Printemps Haussmann
2014

中東に販売拠点を展開する中でラ・メゾン・デュ・ショコラは6月12日、クウェートのジ・アベニューズ・モールに同国第一号店をオープンする。

創刊15周年を迎えるヴォーグ・ジャパン誌から、日本とファッションのイメージをチョコレートで表現した特別な作品を作ってほしいとニコラ・クロワゾーに依頼がある。彼はこの依頼を受けて、全体を金箔で覆って細工を施した、唯一無二の作品である舞扇を創作する。

2014年12月11日、ロベール・ランクスがバイヨンヌの自宅で息を引き取る。ランクスは第一線を退いた後、2012年初めから妻のジゼルとバイヨンヌの自宅で暮らしていた。享年85歳。業界全体が深い哀悼の意を表明する。「私たちは、父であると同時に大切な友人でもある人を失いました。彼の大きな足跡は、フランスだけでなく世界のチョコレート業界に残ることでしょう。彼が私たちに伝えてくれたのは、良いものを妥協せずに追求すること、味わいのバランス、テイスティングの技術、そして自分の技術を共有することでした」

Boutique La Maison du Chocolat au Koweit - Eventail La Maison du Chocolat pour Vogue Japon
2014.12

2014年12月11日、ロベール・ランクスがバイヨンヌの自宅で息を引き取る。ランクスは第一線を退いた後、2012年初めから妻のジゼルとバイヨンヌの自宅で暮らしていた。享年85歳。

 

業界全体が深い哀悼の意を表明する。「私たちは、父であると同時に大切な友人でもある人を失いました。彼の大きな足跡は、フランスだけでなく世界のチョコレート業界に残ることでしょう。彼が私たちに伝えてくれたのは、良いものを妥協せずに追求すること、味わいのバランス、テイスティングの技術、そして自分の技術を共有することでした」

 

ラ・メゾン・デュ・ショコラの創始者 ― ロベール・ランクス
2015

高級チョコレートはフランス流の洗練が見事に表現されたものの一つであり、文化的背景の異なるあらゆる人々の心をとりこにする。高級チョコレートはいつも食べられるものではないだけに、なおさらである。2月1日、ラ・メゾン・デュ・ショコラはソウルの新世界百貨店に韓国初のブティックをオープンする。

 

また同年初めに新しいインターネットサイトをオープン、グローバルブランドとしてのサービスやeコマース、広報活動を提供する一方で、配送方法も幅広く用意し、オンラインで注文してフランソワプルミエ通りのブティックで受け取るといったサービスも利用可能になっている。

百貨店のプランタンが150回目の「春」(150周年)を迎えるのに合わせてアトリウムにラ・メゾン・デュ・ショコラを迎える。アトリウムはカラフルで賑やかなお祝いの雰囲気に包まれ、シーズン必見のイベントとなる。